porta 2018 #032
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「家にいるより時間が早く過ぎるのがいいね。好きだから肩も凝らない」と今も片道30分かけて自転車で通勤する平久さん。現在はシャッターの滑車を組み立てる仕事を担当。「仕事は死ぬまで続けたい」と自分の居場所があることが生きがいになっているようだ。「自転車通勤は危険なので、雨の日は休んでもらっています」と、柔軟に対応するのも、社員を大切にする同社ならでは。「正直、平久さんの仕事を機械化しようと思えばできる。でも、平久さんの存在がほかの社員にも『自分が歳をとっても仕事が続けられる』という安心につながると思っています」。定年後も正社員を続ける条件は、後輩に仕事を教えることだけだという市川社長。「自分はいつでも剛速球。仕事をしてもらうからにはダメなことはダメとハッキリ言うし、褒めるときには褒める。全力で社員を守るのが私の仕事だと思っています」 横引シャッターの技術を支えるのは、全社員の3人にひとりは60歳以上というシニア世代だ。同社では、制度上の定年を設けているものの、定年を迎えても本人の希望があればずっと正社員として働ける。「同じ仕事を続けていても、定年になったら嘱託やパート扱いになったり、給料が減ってしまうのはフェアじゃないと考えたんです」と市川社長。そんな同社のシニア社員筆頭が現在90歳の平久守さんだ。平久さんは以前、町工場を経営していたが、65歳でリタイヤ。一時は老後の生活を楽しんでいたものの「家にいても女房とケンカするだけ。何でもいいから仕事がしたい」と78歳で横引シャッターを訪ねたという。用途や建物の形状によって、様々なシャッターをオーダーメイド。「お客様の要望に応えるうちにラインナップが増えてきました」社員のイタズラ書きから生まれたゆるキャラ「カニ部長」。地元のイベントなどで活躍中ショールームをかねた社屋には、マンガ仕立ての会社の歴史など訪れる人を飽きさせない展示が微妙な力加減でシャッターのカナメとなる滑車を組み立てる平久守さん。「これがスムーズに回らなくちゃダメなんだ」78歳で中途入社し、90歳の今も現役で活躍中居場所があるから輝ける。将来の不安が払拭されるひらひさ料理はストレス解消。「帰ったら必ず一品作り冷えたビールで乾杯します」何もしない日や休日はほとんどないという。退社したのでパート契約。しかも三浦さんが伝説の先輩であることを知らない若い社員も多い。「過去の栄光は言わない、ひけらかさない。こうすればよいのに、と思っても言わない。嫌われない働き方をしています(笑)」。 この日も朝から新宿駅に立っていたそうだ。荷物運びのために売店と倉庫の間を台車を押して3往復。大変ですね、と言うと「お金をもらってウオーキングができるなんて素敵じゃないですか。毎日、駅ナカハイキングをしています」。 常に前向きな発想と行動、恐れ入る。八面六臂の活躍の三浦さんだが、専業主婦でいたのは、「女は外で働くな」とキツくご主人に言われていたから。しかし、子供を背負って歩いていた時に遭遇した恩師に「結婚したの!?」とビックリされたというから、もともと家庭内に収まる人ではなかったのだろう。長女からも「おかあさんは家にいたらもったいないと思っていた」と言われたとか。 夜は12時頃床に就き、朝は6時15分に起床。ちゃんと化粧をしてサッと出かける。「おかあさんは変わった」「今のおかあさんなら一緒に歩いても恥ずかしくない」。働きはじめて、娘たちからうれしい言葉も飛び出した。60歳になったら女優をめざすと言っていた三浦さんはどこまでステップアップするのだろう。次回会った時は、今回聞けなかった若さを保つ秘訣を尋ねようと思っている。筆者(左)とは駅弁を通じて古くからの知人。久しぶりの再会で駅弁談義に花が咲いた近著『時給800円から年商10億円のカリスマ所長になった28の言葉』はダイヤモンド社から発行常に現場主義の三浦さんだが、神妙な表情でパソコンの前に座ることも

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